zipでやるお( ^ω^) 趣のある風景画像ください【zip】
ミルフィーユ! (Taken with instagram)
(via yaruo)
コピペ新聞 : 世界に冠たる三菱鉛筆 (via shoji)
(via appbank)
フリーペーパーだけを置いている店Only Free Paperにおじゃましてきた。こんなのあればというのを実現していておもしろい。
まだオープンして二週間ほどのことだけど、原宿渋谷の回遊しやすい場所にあるから、小さいスペースだけどひっきりなしに人が寄っている感じ。なによりフリーペーパーってこんなにあるのかと。ZINEブームの影響もあるだろうか。
ライブラリーにはVICEとかSALとか、以前僕も集めていて引っ越しで処分してしまったのとかも揃っていた。
以前dsbdでも話題になった女性誌仕立ての碁的/GOTEKIとか在庫が切れていたほどにみんな手に取っているみたい。ノート仕立てのprice-0.comというのが気になったけどすでに在庫がなかった。
お店の方によれば問い合わせとかもあって地方のフリーペーパーとかも今後増えていくみたい。いろんな持ち込みもあってここだけにしか置かないという人もすでにいて、それはかわいらしいZINE形式だった。
dsbdで見かけたみんなも渋谷原宿に寄った際には訪れてみては。
(via yaruo)
日本人の思考っていうのは非常に難解だとこちらで言われますが、それはアメリカが各論文化なのではないかと思います。彼らは事例を区切って考えられる。だから答えが出せるわけです。
子どもの頃から劣悪な環境で育った少年が、青年になり犯罪を犯した事例があります。これに対して、誰が悪いのかという質問がありました。
アメリカ人はその多くが少年が悪いと答えました。日本では、環境が悪いと答えた人が多かったそうです。
区切って、それに対して答えを出す。だからアメリカ人は意見がぼんぼん出ます。ただし深くはない事が多い。それが及ぼす周りへの影響があまり考慮されていないからです。この思考が、戦時には恐ろしい作用をもたらします。絶対正義のアメリカという思考もここに由来すると思われます。
広い関係性を見る日本人ですから、森羅万象、世の中の一部が我々だと捉えていますから答えが出るはずがありません。意見を言えば、必ず何か矛盾をはらむからです。私が考えている世の中とは、今考えている私も含む。ジョージソロスに言わせるとこうなってしまいます。意見とはそういうもの、完全な意見など存在しません。反論できない意見など存在しません。
であれば黙して語らず見ず動かずの方が、少なくとも矛盾しないので、安心ではあります。
実は以前私の中で大きな壁がありまして、それによってブログに言いたい事を言っていない時期がありました。それはなにかと言いますと、正しい事を言いたいという欲求でした。しかも誰から見ても正しい事です。
ちょっと考えれば正しい事など存在しない事など子どもでも分かる話ですが、当時の私はそういうものがあると信じていました。理由はともあれ、ある日それがぱりんと壊れ、それからは思った事をなんのフィルターもかけずに書いています。書き捨てがブログの正しいあり方だと今は思っています。
『偏りなど存じ上げた上で申し上げます』
意見ってのは所詮こういうところは避けて通れません。偏ってなどいないという事は、傲慢であるか、もしくは自分のほんとの意見を他人の目によってねじ曲げる事につながります。偏りは個性でもあります。
"@nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:思考の癖 (via edieelee, kml) (via ishida) (via usaginobike) (via kyohei1989)
なっとく
(via ulara) (via yaruo)正義を語るな
ハーバード大に学ぶ日本人が少なくなった、支那人の方が多くなったと同大の女性学長がこの春、日本にやってきて言った。そこの留学生数で国のレベルが決まるみたいな口ぶりだが、さてそんな立派な大学なのか。
早い話、そこの先生だ。その一人、ヘンリー・ゲーツ教授が『米国は黒人奴隷問題を恥じる必要はない』とニューヨーク・タイムズに書いていた。読んでびっくりだ。だって黒人奴隷はアフリカ人が売っていた。米国人はただ買っただけだと。覚醒剤は持っているけど悪いのは上野で売っていたイラン人だというのと似てないか。誰が奴隷を売ったかではなく、奴隷制度が悪いことをこの教授は知らない。
こんな外れもたまにいると善意に解釈したら、もっと変なのが出てきた。
『正義』について語るマイケル・サンデル教授だ。
彼は『ハリケーンに遭ったニューオーリンズで屋根の修繕屋が五十倍の料金を吹っ掛けた』ケースを紹介し、これは人の弱みにつけ込んだ悪徳商人が、需要があれば高く売る当然の商行為かと問う。
日本人は戸惑う。日本では例えば中越地震のとき。道が崩落し救援物資も届かない山村のスーパーがとりあえず必要な食品や野菜二千円分を詰め合わせた袋を四百円で売った。『こういう時はお互い様ですから』と店の主は答えていた。
阪神大震災のときは山口組が炊き出しをやった。『アウトローは略奪するものだろう』とロサンゼルス・タイムズのサム・ジェムスンが驚いていた。
日本では儲けどきに安く売る。ヤクザも略奪よりまず人々を助ける。だから日本人はサンデルの問いが発生すること自体、理解できない。
彼はまた南北戦争のときの徴兵制を取り上げている。みんな兵士となって戦場に出るが、ただカネを出せば身代わりが認められた。後には三百ドル出せば召集は免除された。法の前の平等を説く米国もこの辺は堂々と貧しいものを差別してきた。サンデルはそれを非難はしない。米国人に限らず人は生きたいのだからと。
第一次大戦はキール軍港の水兵の叛乱で終わるが、これも根は同じだ。
ドイツは最後に残存艦隊の出撃を計画した。意気の高さを見せて停戦条約を有利にする気だった。それに『もう少しで生きて帰れる水兵が反発した』(川口マーン恵美『ベルリン物語』)。『最後の捨て駒にされてたまるか』というわけだ。ドイツ帝国はこの判断によって崩壊した。
この『自分だけは死にたくない』行動について問われても日本人は戸惑う。
さきの戦争で日本が降伏したあと、ソ連軍が千島列島に武力侵攻してきた。ポツダム宣言に沿った進駐ではなく、武力で占領する意図だった。米国が沖繩を占領したように我々も北海道まで武力占領した。だからその領有権は我々にあると言うための侵攻だった。
ソ連軍はまず北の占守(シムシ)島を攻めた。もうお国が降伏したあとだ。そこの日本人将兵はどうしたか。これが徴兵も金で済ます米国人なら金を積んで命乞いをしただろう。キール軍港の水兵も降伏が決まった今、喜んで手を上げただろう。
ただ日本人は違った。降伏後だから捕虜になっても形はつく。生きて故郷にも帰れるが、それで火事場ドロ以下のソ連軍に祖国を好きに蹂躙させるなど日本人として許せなかった。 だから一旦置いた銃を再び取って戦いに臨んだ。
日本側は七百人が戦後に戦死したが、ソ連側は数千人の死傷者を出し、北海道侵攻は不能となった。モスクワは日本政府に文句を言って占守島の将兵に銃を置かせた。
サンデルの頭にこうした日本的な正義はない。商売は阿漕に、金持ちは命を惜しむ。それを何とか正義で包みたい。
あの大学に支那人が増えるわけだ。
"「変見自在 高山正之」 正義を語るな 週間新潮2010年12月2日号 (via nandato)
(via yaruo)
広告・宣伝はしない
理由が面白くて「お客さんがきたら疲れるから」w
冗談で言ってるのかなと思ったけど、
どうも本気みたい。
「疲れないで、楽をすればもっともっと大きくなる」
というのは、社長の理念みたいで、
ゆえに低価格を実現する徹底した改善が実現できている。
"サイゼリヤがすげーw - teruyastarはかく語りき (via takaakik) (via mitaimon) (via yaruo)
2009-02-09 (via gkojay) (via pipco) (via sho235711) (via yasayasa83) (via idoyesido) (via appbank)
自分のことを決して語らなかった課長(CROSSBREED クロスブリード!)
(Source: crossbreed, via kotoripiyopiyo)